■(20180218)

 朝、Coccoのライブアルバムを聴きながらジョギングをした。Coccoのライブアルバムを聴くと「Cocco頑張ってるな、私も頑張ろう」という気持ちになれて良い。

 少し前に図書館勤めの人から「BIGINは郷土資料だけど安室奈美恵は郷土資料じゃない」という話を聞いて、じゃあCoccoはどうなんだろう、結構微妙なラインなんじゃないかと思ったことを思い出したので検索してみた。ざっと見る限り、概ね郷土資料扱いのようである。やっぱそうかという納得があった。

 世の中はすっかり春であるようだ。
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 午後からは散歩へ出た。本屋に寄って漫画を買い、コンビニでパンとお茶を買った。それから公園に行って、パンをかじりながら漫画を読んだ。充足した時間であった。
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 散歩中に見つけたマーチの群れ。マーチはこうして群れを作り、集団で暮らしています。
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 冬を南の島で過ごしたノート達は、やがて春の訪れを告げる使者として北へと帰ってゆきます。

 などと適当なことを考えながらビーチまで歩いた。ビーチの東屋でまた漫画を広げていると、鳥が飛んで来た。たぶん人に慣れているんだろう。
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 ビーチは結構人が多かった。夕暮れまで居て、帰った。
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 とりとめもないが良い一日だったのでブログに書いておく。

どうしようもなく立ち止まる――長嶋有「愛のようだ」感想

 愛のようだ、というから、本当は愛ではない話なんだと思った。けれどそれは違っていて、

「愛のようだ」と永嶺は短く言った。この湧き上がる気持ちはどうやら、という意味だろうか。

 とあるので、これは愛のようなものの話だった。

 話の中で登場人物たちはたいていのシーンで車に乗っている。車に乗ることについて、主人公の戸倉はこんなふうに考えている。

 停車して発進する。また停車して発進する。車とはそういうものだ。停車して、こうして再び発進するそのつど、これまでの自分たちのやりとりがすべて過去のものだという実感が強まる。

(中略)

 だってもう、あのときとは景色が違う。あのときとも、あのときとも。車に乗っている限り。

 そういう風に感じたいと思うときが、生きていてたくさんある。なにかに失敗したとき、なにかを見透かされて消え入りたい気持ちのとき、誰かを悲しませてうなだれているとき。あるけど我々は大抵の場合、車に乗って移動してない。

 我々は常に、車に乗って移動しながら生きていればいいんじゃないか。生きるのがそんなに単純じゃないことはもちろん知っていながら、そんなことを考える。

 当たり前だけど人間は一生、車に乗り続けていることはできない。ガソリンはいつか切れるし、腕だってだるくなって、疲れる。それに車に乗っていたとしてもいつもすべてが過去のようだと思えるわけではない。

 戸倉は琴美に好きだと言えなかった。言えないままに琴美は帰らぬ人となる。

「ものすごい、フローラルな香りだったよ」

「ポピーなのに?」

 なんて無意味な会話が最後だった。

 俺はあのときバカだったし、そのことはこれからもずっと取り消せない。ずっと斜に構えて生きてきて、気づいたら大事な人に大事な言葉を言いそびれて、そしてこれからもずっと、言いそびれたままだ。

 ラストシーン、車の中で戸倉はそのことに気づく。(「『もう手遅れだって、思い切り気付かされた』の?」) 戸倉は車を停めて泣く。ラジオからは琴美がいつかフェリーの甲板で歌った「キン肉マン」のオープニングテーマが流れている。(ああ、心に、愛がなければ。) この話はここで終わる。

 車に乗り続けることはできないけれど、泣き続けることだってできない。だから戸倉は一時間だか二十分後だかに泣き止んで、それからまた車を出して、どうにかまた生活をしていくんだろうと思う。そして長い時間を経ていつか「あのときとは景色が違う」なんて感慨にふけったりするんだろう。

 だからといってそのことが今この場で役に立つか、喪失感が慰められるのかというと全然そういうことはなくて、今、この車の中には悲しみは悲しみとしてただそれだけがそこにあって、それだけが本当のことなんだと思う。

 生きているとどうしたってどうしようもなく立ち止まらなくてはいけないときがあって、「だから日々を大切にしよう」とか「いつかそれが自分の糧になる」とかの考えとは全く無関係に、そういうときはそういうときとしてただ存在している。

 (いつか車は走り出すけれど)どうしようもなく立ち止まる。生きているとそういうときが、在る。ただ、在る。それを凄く鮮やかに突きつけられた。

ドライブ日記1

 うまくはないが運転が好きだ。バスや鉄道に乗るのも好きである。飛行機はあんまり好きではない。多分平面を移動するのが好きなんだと思う。

 ここしばらく遠出をしていなかったのでドライブへ行った。恩納村文化情報センターまで。

 名前はお堅いが平成27年4月に開館したばかりのオシャンティースポットらしいと聞いていた。とにかく図書コーナーがシャレオツとのこと。
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 画像は公式ホームページ(http://www.onna-culture.jp/cultural-information-center/library-floor/)より。

 

 50回転ズの新譜とB-DASHのベストアルバムを聞きながらゴキゲンで58号線を北上する。

 着いてみると非常に立派な建物で、博物館も併設されている。(というかこっちがメインかも。)入場無料である。ちょっぴり「恩納村大丈夫なのか」という気持ちになってしまったので調べてみると国の交付金事業だった。やや安心(?)。センキュー内閣府

 図書コーナーはすばらしい眺望だった。

 閲覧室内の写真を撮るのははばかられたので、展望室から。
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 あんまり天気が良くなかったが良いフンイキ。
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 うっすらと伊江島も見える。(真ん中の若干尖ってる影)

 室内も蔵書もピカピカである。真新しくて硬いブッカーがうれしい。
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 2冊借りた。

 普通の図書館はその市町村の住民か在勤者でないと貸出し出来ないものだが、こちらは「沖縄関連資料を観光客を含めた利用者へと提供することにより観光の付加価値を高める」というのが交付金申請の建前らしく、それもあってか村外住民でも本を借りることが出来るのである。こういう建前なら大歓迎だ。センキュー内閣府

 漫画も「それ町」「プラネテス」「ハチクロ」「BLUE GIANT」などシブいラインナップ。読んだことないものも沢山あったので又読みに来たい。

 

 本を借りると近くの道の駅のクーポンカードをもらった。こういうサービス初めてだ。

f:id:myfoolishfff:20180127211322j:image(爪が汚くて恥ずかしい…)

 カードは道の駅レジにて回収となる。ラミネート加工されているのでなんとなく持って帰りがたく、「使って帰ろ」という気分になる。よく練られたビジネスモデルである。
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 トマトを買った。
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 あとエロ大根。

 道の駅にはしゃれたパン屋さんもあった。
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 右は野菜ごろごろカレーパン。ちょうど揚げたてだったのでラッキー。周りにコーンフレークがまぶされているのがイイ感じ。

 左はシナモンのデニッシュ。くるみが入ってておいしかった。
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 窓枠になんか楽しげな人がいて良かった。

 帰りはandymoriのアルバムの「ファンファーレと熱狂」「光」を聴いた。どうしても「グロリアス軽トラ」は一緒に歌ってしまう。

 車内の温度計によると恩納村出発時は16℃だった気温が那覇では19℃になっていた。やっぱり北の方が温度低いんだな。

 

 今日一日でかなり恩納村が好きになってしまった。
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  村章もロボットアニメのロゴみたいでカッコイイ。 

 今年初のドライブはかなり充実したものとなった。これからも安全運転を心がけつつ、いろいろな場所へと訪れていきたい。
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 初詣で買った「無事カエル」のお守り。

 

 

 ついでに。

 恩納村の沖縄振興特別推進交付金のページを見ていると、「観光地危険生物駆除事業(ハブ駆除事業)」というものがあった。

 捕まえたハブを売った収入が平成27年度は17万3千円あったらしい。

 現状、カラスの悪戯で罠からマウスが逃げてしまうという課題があるらしい。

 いろいろな仕事がある。こういうものを読むとなんだかしみじみとうれしい。

あのサンドイッチ

 2014年の御嶽山噴火のことを思い出している。

 噴火の一日か二日後の朝のことだ。NHKのニュースで、行方不明になった方のご家庭へと取材が入っていた。

 奥さんが冷蔵庫からサンドイッチを取り出す。たまごときゅうりのきれいなサンドイッチだった。

「山に行く日、夫は早起きをしてサンドイッチを作っていました。半分は自分で持って行って、半分は私と娘に」

 奥さんはその日捜索活動へと加わるのだという。朝のニュースはそれまでだった。

 夜、またニュースを見る。朝の取材の続きがあり、残念ながら旦那さんは亡くなっていた。汚れたリュックサックから、奥さんはタッパーに入ったサンドイッチを取り出した。サンドイッチは縮んでカチカチになっていたけれど、きれいだった。

「食べれば良かったのに、食べれば良かったのに」

 奥さんはタッパーを両手で持ちながら泣き崩れた。それが今でも忘れられない。

 災害というもののむきだしの断面を明らかにする、あれはすごい報道だった。

 ご遺族はいまどうされているのだろうか。心安らかにお過ごしであることを願う。

愛だったのかもしれない

 学生のころ福島出身の友達がいて 震災のあとその友達の彼氏が友達のことを「セシウムちゃん」と呼んでいて 何ちゅう男だよバカタレと思っていたけど もしかしたらあれはああいう癒し方で ああいう愛だったのかもしれないなと今は思う (愛だとするならずいぶんせつない)

自選2017年の日記

 忘れっぽいので日記をつけている。たまにいいことを書いているので2017年の日記をまとめてみる。

 

1/4

 出勤したら上司の第一声が「おう玉ちゃん、幸せの青い鳥は見つかったか?」だったの最初は何なんだと思っていたけどだんだんウケてきた

 

2/27

 忙しくてイライラしてしまった。退勤後、丸亀製麺で鴨ねぎうどんを食べたらびっくりするぐらい心が落ち着いた。自分に足りないのは鴨ねぎうどんだったのか…と思った。心の荒れた部分に鴨ねぎうどんがぴったりと寄り添ってきた。

 

3/5

 日曜美術館が「クラーナハ」というスケベな絵の画家だったのだけれど、井浦新がしどろもどろになっていたり「何らかの感情が刺激されるかもしれません」とか言っていたりして大変良かった。

 いつだったかの日曜美術館花森安治の回で、暮らしを愛することの強さっていうのが判った気がする。

 普通の人が普通に生きられない状況というのが自分たちの生活する裏側には確かに存在していて、(花森にとってはそれは戦争だったと思うんだけど)生活を整えることというのは、切実に生きることそのものに迫ってくるんだなーって思った。

 

3/11

 きっとゴールデンカムイはこれから一層人気の出る漫画だと思うから、リアルタイム読者として野田先生が巻末の「健康のために何をしていますか」って質問に「水素水でチンチンを洗っています」と答えていたことを後の読者に伝えられると思うと大変うれしい。

 

3/19

 のんびりした。やがて厄災を招くのんびりだった。

 

3/24

 天ぷら食べ放題の店にて先輩の送別会をした。今バンド組むとしたら「天ぷら食べ放題、それは苦しい」にするなと思った。

 

3/26

 「俺は感情の無いオタク、休日出勤なんて平気」と唱えながら出勤した。

 

4/17

 丸亀製麺の牛とろ玉うどんを食べたところ、「丸亀製麺の牛とろ玉うどんはうまい」という知見を得られた。

 

4/20

 スパークリングワインは「ワインがシュワシュワしてたらめっちゃうまいんじゃね」という発想から生まれた、本質的にはバカの飲み物

 

 

5/5

 私がもしFUDGEのモデルみたいに可愛かったら当然毎日FUDGEみたいな格好をしてメチャメチャにモテてやるんだけど、そうじゃないし金だって無いからそうしないんだ。だからせめてマニキュアを塗る。灰色のやつを。これはそういうブルースなんだよ、分かるか?ブルースが分かるか?

 

5/6

ニール・ヤングって、きんぴらを作りながら聴くとほんといいですね。「ニール、君もがんばれよな。僕もこうやってがんばってきんぴらを作ってるからな」と深く思った(村上ラヂオ/村上春樹)』

 

5/9

 恋愛というものは生活を劇的に変えてくれるものではなくて、ただ少しだけ違った種類のよろこびと悲しみに光があてられるだけだな、と思った。

 

5/10

 ジュンク堂に行って町田洋『夜とコンクリート』(漫画)を読んだ。この人の絵は線が細くて静かだから、さびしい話をかくと本当にさびしくてたまらない。

 

5/16

 soundcloudのアプリを入れてみた。一曲好きな曲を聞いたら、その曲終わったあともずっといい感じの曲を流してくれてて、なんかこんな感じの友達居たらいいよなあと思った。

 

5/17

 眞子様婚約とのこと。

 浅田真央ちゃんが結婚したら、多分悲しいのでも嬉しいのでもなく、涙が出るだろうなって急に思った。

 

5/19

 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー2を見た。最高オブギャラクシーだった。

 

5/23

 青いスタジャン、ブルーデニム、青いヘルメットで青いPCX(ホンダのオートバイ)に乗っている人を見かけて、「PCXマンだ」と思った。

 

8/26

 『各人は己の器量と相談しながら自分の生き方を創造してゆくより他に仕方がない(こころの処方箋/河合隼雄)』

 ミもフタもね〜〜って笑ったけど、本当にそうだなと思った。

 

8/31

 でっかい枕カバーの中で眠りたい

 

9/8

 飲み会帰りの父が「私は自分を見失っていません。薬を飲んで眠ります」と言ってしずしずと寝室に入っていったのかなり面白かった

 

9/15

『私は最もやさしい眼差

 私はありあまる理解

 私はelected penis

 私は絶えない憧れ

 そして私は愛ではないのだ

 (愛について/谷川俊太郎)』

  ※elected penis…勃起したペニス

 

9/17

 江國香織のエッセイを読んでいる。

 『たぶん私の問題は、物事のやめどきというのが全くわからないことなのだ。豆まきも、しゃぼん玉を飛ばしたり絵をかいたりする遊びも、もうだめかもしれない恋も。(やわらかなレタス/江國香織)』

 という一文を読んで、なんか急に目の前にムカデが現れたときみたいな、ギャッという感情に襲われた。(女の人の恋愛感情をムカデに例えるべきではない)

 

10/5

 へたくそなマニキュアを塗ったり、へたくそな文章を書いたりしていた。

 満月だった。

 ノーベル文学賞カズオ・イシグロ氏。

 

11/11

 図書館にリクエストしてた『トントングラム/伊舎堂仁』(歌集)が届いたので借りに行った。

『・いろいろと打ち明けてみていろいろとあったんだねの言葉をもらう

 ・5:29に起きる 5:30に眠る いってらっしゃい

 ・1つだけ黄色の、みえる? 1つだけ黄色のテトラポッドが、みえた

 ・ありがとう ナンバープレートを照らす光 おめでとう それを知るまでの日々

 ・最速のワイパーの奥で歴代の恋人たちが笑ってくれる』

 かすかな恋愛の空気が心地よかった。

 

11/13

『なあ、俺はあいつと一緒にずっと育ったんだよ、いいやつだったんだ、その、あいつが初めてだったんだ、アネモネわかるか初めてだったんだ、俺を必要とした初めての人間だったんだ(コインロッカー・ベイビーズ村上龍)』

 村上龍のこういう同じこと何回も言うセリフ回しめっちゃいいなと思う。

 

11/28

 THE YELLOW MONKEYドキュメンタリー映画を見た。「オトトキ」ってやつ。

 「メンバーのことは家族だと思っている、家族だから取り替えがきかないんですよ、イヤなところがあっても」

 と吉井和哉が言っていたのが良かった。

 

11/29

 ちんちんがでかくて顔の良い男になりたいけど、なれないから、せめてロマンチックなババアになりたい

 

 

総括

・私は丸亀製麺に救われすぎ

 

2018年の目標

・生にしがみつく

・人にやさしく

・困ったら早めに丸亀製麺に行く

口紅について

 女性は一生のうちに約8本の口紅を食べるらしい。読んでいた雑誌にそう書いてあった。

 こういう話を聞くとなんとなくうれしい。「8本くらい食っても大丈夫なんだ」と思う。

 一生のうち女性が日常的に化粧をする期間を、ざっくり18歳〜70歳までの52年間と見積もる。8で割ると6.5年。女性はおおよそ6.5年をかけて一本の口紅を食っているというわけだ。

 高校を卒業した18歳の4月を起点とすると、24歳になる年の10月の時点で一本食い終わるのである。いま自分は27歳なので、すでに約1.4本の口紅を腹に収めてきている計算になる。

 1.4本食っても毎日元気に生きている。やっぱりなんとなくうれしい。それから今まで食ってきたいろいろな口紅たちのことを思い出す。

 思えば1本目はちふればっかり食ってきたような気がする。たまにSUSIE NY。なんとなく口紅というものに気後れしていた時代であった。あと金も無かった。

 2本目からは少しバリエーションが増える。ちふれは相変わらずだが貰い物のエスティーローダーとイヴ・サンローランが加わった。サンローランは美味しそうな匂いがするので非常に気に入っている。

 これから自分はあと6.6本の口紅を食っていく。せっかく食うなら気に入った口紅を食いたいものだ。

 そんなことを考える年の瀬である。