ひょこひょこおじさん

 「ライ麦畑でつかまえて」を初めて読んだときのことはもう忘れてしまったけれど、そのときの気分だけはよく覚えている。「風邪引いて熱があるときにぼんやり天井を見ている」という気分。学校を休んでて、でも起き上がってテレビを見る元気もなくて、眠るのもちょっと違うから天井の隅っことかをぼうっと見ている。だるいんだけど、それが少し気持ちいいみたいな感じ。(風邪引いてるときに読んだわけではないと思うけど、風邪引くとなんとなく読み返したくなる。)

 ところでサリンジャーの短編に「コネティカットのひょこひょこおじさん」というのがある。酔っ払った女が旧友に家の愚痴とか昔の男の話とかをグダグダ喋り続けるというどうしようもない話なのだが、ラストに「学生の頃ドレスがダサいと言われて一晩中泣いていた」という話をしたあとのセリフが凄く良い。

「あたし、いい子だったよね?」訴えるように彼女は言った。「ねえ、そうだろ?」

 ここで今までのどうしようもなさの性質がが一気に変わるというか、ただどうしようもないんじゃなくて、たぶん女は昔のことにとらわれて、どうしようもなく寂しく誰かに肯定してほしかったんだというのが垣間見えて、胸に迫るものがある。

 あとタイトル訳がめちゃくちゃ良い。これは女が学生のころ、転んで足をひねったときに昔の男が「かわいそうなひょこひょこおじさん」とからかった(?)ときの言葉である。原題は "Uncle wiggily in connecticut" というのだが、wiggilyというのは「揺れ動く」という意味で、そこを「ひょこひょこ」にしたのは凄いセンスだと思う。転んだとき好きな男に「ひょこひょこおじさん」なんてからかわれたらきっと胸がいっぱいになっちゃうだろうな。

(ちなみに当時のアメリカの新聞の子供向けコーナーにUncle wiggilyというキャラがいたようである。uncleと足首のankleをかけたシャレになっているらしい。「起き上がりコボちゃん」みたいな感じだろうか。)

 訳者は野崎孝という人で、セリフを訳すとき「〇〇なんだな」という語尾がよく出てくる。カワイイ。

 

 あとサリンジャーで思い出すのは、「ママレード・ボーイ」で茗子ちゃんが気になってる先生と好きな作家の話をしているとき、イギリスの難しい作家を挙げたあとでの「ごめんなさい ほんとは読んだことないの。好きなのはサリンジャーなんです。平凡でしょ?」というセリフ。めちゃくちゃ可愛くて好きなんだな。(野崎訳リスペクト)