さむくてくさい――松本大洋「ルーヴルの猫」感想
読みました
松本大洋「ルーヴルの猫」を読みました。
ちょうど去年の今ごろ大阪でやっていた「ルーブルNo9」という、ルーブル美術館と漫画&バンド・デシネをテーマにした展覧会で原画を見て以来、ずっと単行本発売を楽しみにしてた漫画です。
凄く良かったです。以下「凄く良かった」ということを言葉を変えて言ってるだけの文章になります。
さむくてくさい
「この世はさむくてくさいのさ」という印象的なセリフがありました。さむくてくさいというのはつまり、快適でなくて、不潔で、避けられるものなら避けてゆきたい。それでもこんな世界でみんなどうしても生きてしまうわけです。(これは前作の「Sunny」にも通じる世界の見かたじゃないかなと思ってます。)
さむくてくさい世界の耐えがたさというものは、物語の中では登場人物の死として端的に表れます。主人公のゆきのこは「絵の中に入り込む」という能力、つまりこの世界(此岸とします)を抜け出す力を持っているわけです。
絵の中の世界(彼岸とします)は「しずかですてきなせかい」で、だれかが傷つくようなことは起こらず、死んでしまった者たちに会うこともできます。けれど最後にゆきのこは此岸へと戻る決意をするのです。「彼岸から此岸へ」というのは松本大洋作品不変のテーマだなあと思います。
ところで今までの松本大洋作品では、クロにとってのシロ、ユキにとってのマコトみたいに、此岸へのキーパーソンの存在が非常に重要となっていたのですが、「ルーヴルの猫」ではこれといった人物がいないんですよね。いないというか、それは棒っきれであったり、長老であったり、あるいはセシルであったり、ほかの言いようのないなにかであったりするんだろうと思います。
言い換えれば「さむくてくさい」世界そのものがゆきのこを此岸へと戻らせる動機となっているわけで、そこがすごく新鮮で、はっとして、心が洗われるみたいな気分でした。
「さむくて くさくて、うるさくって…」
「ともだちは死んでしまったのに…」
「あっちへ帰るんだ。」
というセリフも素晴らしいです。
絵について
絵がとにかく魅力的です。コマの枠線も多分フリーハンドなんじゃないかな? あったかみがあって良いですね〜
こういう少しずつ遠ざかっていくカメラの構図めちゃくちゃ好き。
それと昔は全く無かったと思うんですが、近年の松本大洋作品には可憐な女性が出てきますね。ヒロインのセシルはきれいな人です。ちなみに私はSunnyの七子さんがめちゃめちゃ好きです。
七子さん。
ここの絵のパワー凄すぎる。
些事ですがこの「んっ!?」に松本大洋イズムをめちゃめちゃ感じました。
まとめ
クリスマスの前にすてきな読書体験ができてうれしかったというお話でした。